母は米寿―長き人生ー

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母が88歳になりました。昭和2年生まれの母は、第二次世界大戦の経験者です。
終戦後、箱根の「芝商店」というアンティークのお店で働いていて、その店が富士やホテルに
出店していたので、多くの政府関連の要人を見たそうです。
マッカーサー御夫婦・バルガス大使?知らない名前が多く、かろううじてマッカーサーはわかったのですが。奥様は地味な方だったと、普通に感想を話していたけれど、結構珍しい話なのでは。




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母は、九人兄弟でした。
多い、子だくさん。
今の時代ではなかなかお目見えしない家族構成です。
また、福島の大字という地で、貧しさの中で、それなりの苦労があったそうです。
この写真は、母の幼い写真で唯一のものです。
何番目かのお兄さんがブラジルへ移民として行くことになった時の写真だそうです。
人減らしのためだそうですが、今では考えられない暮らしだったそうです。
今は、東京の一等地に土地を持ち、優雅に暮らしているんだから、人の人生は、わからないものです。マア贅沢と言えば本マグロの刺身を週三日食べてることぐらいですが。
私は滅多に買わないのですが、買えないのか?かな?
やっぱり贅沢品だわ。
母と食事をする事が増えたので、私の刺身に対する舌が肥え、美味しいマグロがわかってきてしまい、外食の際に、違いがわかる自分にびっくりしてしまった位です。
私は、小学2年の時、沢庵でごはんを7杯食べた時が、最高の大食い記録なんですが、イクラやうにや数の子、鮑もあまり好きではなく、マグロの刺身も当然ながらさほど興味がなかったのですから、
何が贅沢か、贅沢じゃないかは、人の味覚次第なのでしょうね。




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父と母が初めて会ったのは、母が14歳で、東京へ出て来てまもなくの頃だったそうです。
その頃は、もちろん戦争が始まった時期で、母も子供の上に、働いていても生きるのが大変だったそうです。
戦後3年位して結婚してから61年、父が他界するまでの時間を、仕事に子育てに忙しくしていたような事を母は言っていますが、二人で旅行へ国内・国外問わずよく行っていましたし、ボーリング・テニス・フラダンスと、かなり運動もしていました。
書道の師範の資格もあり、生徒さんも何人かいましたから、いろんな時間を過ごしてきたと思います。
夫婦として、父と母は充実したパートナーライフを生きてきたと思います。
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by wing_swing_window | 2015-02-08 18:05 | 道程-懐かしの彼方


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